先日の夜に「おかあさんといっしょ」の特集番組を見るとはなしに流していて、ちょうど子供たちがスタジオで撮影する時の流れとか、スタッフの工夫とかの話になっていた。
子供に話しかけるときに視線の高さを合わせる、子供の意志を尊重する、無理強いしない、最後まで話しかける、子供がギャーと言っても怒らない。
「ああ、配慮された子供っていいな。私はそんなこと許されなかったもんな」としんみり悲しくなってしまった。
私は子供らしい子供時代を失ったのではなく、「そもそも得られなかった」「与えられなかった」「奪われていた」のだと思った。
そんなことをしたらどうなるか、親が不機嫌になり自分の望みなんて叶うわけがなかった。
頭の中でね、「私もああいう扱いをされたかった」と怒りが出てくるんです。
もちろん、今私はやろうと思えばできます。
「子供のようにスーパーで地団太を踏む」「金切り声でギャーと叫ぶ」「これを買ってくれと泣く」
でもたぶんやらない。通報されるのが怖いし、そもそもそういうことをしなくても、私はほしいものを買うことができるから。
表面上はそう思っていても、過去の私はそうは思っていないわけです。
得られなかったものに対する悲しみってつらいな。
グリーフケアの重要性がわかりますね。