2024年11月03日

配慮されている子供を見ると心がざわつくのは仕方ないことなのかな

先日の夜に「おかあさんといっしょ」の特集番組を見るとはなしに流していて、ちょうど子供たちがスタジオで撮影する時の流れとか、スタッフの工夫とかの話になっていた。

子供に話しかけるときに視線の高さを合わせる、子供の意志を尊重する、無理強いしない、最後まで話しかける、子供がギャーと言っても怒らない。
「ああ、配慮された子供っていいな。私はそんなこと許されなかったもんな」としんみり悲しくなってしまった。
私は子供らしい子供時代を失ったのではなく、「そもそも得られなかった」「与えられなかった」「奪われていた」のだと思った。
そんなことをしたらどうなるか、親が不機嫌になり自分の望みなんて叶うわけがなかった。

頭の中でね、「私もああいう扱いをされたかった」と怒りが出てくるんです。
もちろん、今私はやろうと思えばできます。
「子供のようにスーパーで地団太を踏む」「金切り声でギャーと叫ぶ」「これを買ってくれと泣く」
でもたぶんやらない。通報されるのが怖いし、そもそもそういうことをしなくても、私はほしいものを買うことができるから。
表面上はそう思っていても、過去の私はそうは思っていないわけです。

得られなかったものに対する悲しみってつらいな。
グリーフケアの重要性がわかりますね。
posted by はぴたん at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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