2016年10月30日

*読書日記『震える舌』三木卓

大事な子供が破傷風に感染してしまう話。
なんだかすごいものを読んでしまいました。

昔破傷風ワクチンを接種する必要のある職場にいたことがありました。
それをふと思い出して、破傷風といったらこの小説と思い読んでみました。
レイモンドカーヴァーの『ささやかだけれど役に立つこと』に近い感じです。
共通点は子供のために疲弊する親。
盛大にネタバレすると、違うのは震える舌は子供が助かる点ですね。

破傷風菌は神経に悪さをするので、感染すると痙攣症状が発生します。
震える舌というタイトルは子供が痙攣を起こしている時に舌を噛んでしまわないように
口をこじ開けている状況を示しているのかなと思います。

痙攣は定期的にやってきます。
それを厚紙に記録する母とそんなことより休めよと言う父親。
この場面に限らず会話にはピリピリとした緊張感の溢れる描写が続きます。
もちろん病状も一進一退を繰り返すために、いつ娘が亡くなってしまうかヒヤヒヤします。
とにかく緊張感のある一冊です。
posted by はぴたん at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月23日

*読書日記『鼻めがねという暴力』林田俊弘

あんまり希死念慮のことばっかり書いていると実行するのではないかと心配されそうですが、
大丈夫ですよ、ここで吐き出すことで生き延びているんですよと示すために読書日記でも。

鼻めがねという暴力、サブタイトルは「どうすれば認知症の人への虐待を止められるか」
介護職の人向けに書かれているんでしょうが、介護に縁がなくても非常に読みやすかったです。
タイトルの「鼻めがねという暴力」というのは、介護用グループホームなどでクリスマスや
誕生日などで開かれるイベントの場で利用者にパーティーグッズの鼻めがねをかけさせて、
可愛いなどと言って笑う行為を指しています。

この行為が問題なのは本人が望んでそのグッズを身に着けているならともかく、その場の
状況も理解できないような認知症の人に着けさせていること、そしてそれを嗤うことです。

私がいじめの被害者だったから特に強く思うのかもしれないのですが、周囲の嘲笑は
とんでもない暴力です。
嫌だとも止めてとも言えない、言っても相手にされない状況で周囲に嗤われるのは
本当に傷つきます。
そしてそれは認知症になっても傷ついた感情は嫌な記憶となって残ります。

読み始めて最初に気付いたのは、テレビなどで介護の特集番組を放送している時の
違和感でした。
たまに、利用者の人への言葉遣いがタメ口だったり子供相手の話し方だったりする時が
あるんですが、「え、その言葉遣いって失礼じゃないの」とよく思っていたんです。

本書の中では利用者へのタメ口が虐待の一歩手前の例として挙げられています。
長い付き合いで相手との関係でタメ口が許容されている状況でなければ、
介護者→利用者への力関係を固定し、介護者は利用者に言うことを聞かせて当然という
空気を作り出すので避けるべきだとしています。

敬語、私が通っている病院でもタメ口を使う関係のスタッフさんもいますが、私からは
できるだけ敬語か崩した敬語(〜っす)を使うようにしています。
これは私は利用者、スタッフはスタッフという立場の違いはあっても対等な関係だと
思っているからです。
いやもちろんスタッフさんの方が力関係としては上にいるんですが、それでも違うと
思ったことはきちんと言います。

これがスタッフさん全員が揃ってタメ口で話しかけてくるようだと、距離感が
縮められすぎてると感じて引いちゃうでしょうね。

閑話休題。
この本ですが、介護職だけではなく、看護や医療の立場にいる人にも役立つ
内容なんじゃないかなと思います。
普段の利用者への接し方について、改めて考えるいい機会になりそうです。

(本書内で紹介しているセンター方式という記入シートは、私が対象者になって
記入されたらしんどいなと思いますが、それについてはうまく説明できないので省きます。
だって、だって似顔絵が描かれるらしいですからね、醜形恐怖の私としては願い下げです)
posted by はぴたん at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

くるしい、くるしい

うそつき、うそつきという小説があったなとふと思う。
まあまあ面白かったけど日記にするほどのエネルギーは注ぎ込めなかった。

この前もちょっと書いたけれど、とある問題が発生していて、それで随分消耗している。
方々に調整してもらう、頭を下げる、適度にポジティブでいる。
どれも単発で発生していたらこんなに疲れないのかもしれないけど、一気に対応する必要がある。
だから自分だけの時間が発生するとちょっとした希死念慮が来る。
前回の大波の時は消えたいだったけど、今回は立派な死にたい。

死にたいという気持ちからなのか食欲もない。
順当に減る体重を見て幸福感さえ感じる。
いくらまで減るのかテストしてみたい気もするけど、環境的にそれは難しい。
多分、今の体重が底くらいなんだろうとは思う。
これより減ったら多分動けなくなる、動けなくなると今発生している問題解決が難しくなる。
だから食べる。しかたない。
医者には摂食障害っぽいねーと言われた。
また病名が増える。
でもまあ、食べてから吐くとか大量に食べるとかが習慣化してないから、まだいいかなと思う。
習慣化するのは小食で充分だ、これ以上何か習慣が増えると多分まずい感じがする。
小食でもここまで体重が減ると困る。
特に椅子に座ってると骨が当たって痛いこととか。

そんなことより目の前の大問題だ。
今日も色々と話してきた、それをまた各機関に出せるように整える。
書類を書く、電話をする、報告をする。

やってしまったことは変えられない。諸悪の根源は私にある。
私に出来る色々なことを実行することで責任を果たす(つもりになっている)。

ごめんなさい。
問題を隠し通すことさえできない自分が悪い。
過去に起きた問題も私の能力が低いからだった。

ダメな自分がやらかしたことを自分で解決しようとしているから許してほしい。
今私がいなくなると結構な修羅場になるのは目に見えているので、
ひとまず問題の見通しがついてから死ぬことを検討する。

とはいえ本当はそんなこともなくて、私がいなくってもどうにかなるんだろうな。
そう思うとしんどいので、先延ばし先延ばし。
どうせ80年経ったら死ぬのだから都度先延ばししているのがお勧めとはカウンセラーのお話。
ごもっとも。

「私は私の責任を引き受けている」
呪いの言葉に近いけど、これで救われる限りは明日も頭を下げにいく。
どうせ明日明後日で解決する話でもないのだし、のんびりいかねば身がもたない。
posted by はぴたん at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月16日

手放すということ

とある問題があって、それをずっとひた隠しにしていたのだけれど、
ある日私が耐えきれずにその問題について話してしまった。
それはもちろん大きな議題になって、色々な信頼も失ってしまった。

でもその問題はいつかは解決しなければいけないことだった。
だから、そのことについて耐えられなくなったというより、
その問題から手を放したと考えた方が良いのではないかと思うようにしている。

手放す。
アルコール依存について本を読んでいた時に頻繁に見かけた単語で、
多分こんな境地なんじゃないかと思う。

恐らく、その問題が発生してから関係性はずっと変わり続けていて、
それが表面化したのが今だった。
将来、振り返ってみた時に良いターニングポイントだったと見なせるように
今は頑張るしかないと思う。
つらい。
つらいけれど、私が行ったことの責任は私が引き受ける。
責任を果たすのが今課された試練なんだろう。
posted by はぴたん at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月09日

嘘をつくこと

今日読んだ本
日本会議の研究 扶桑新書
読書日記に書くかはちょっと検討中です。

さて、私は嘘をつくことが苦手です。
多分何かしらの能力が足りてないんじゃないでしょうか。
隠し通したり、嘘をつき続けることができない。

何かをごまかすために細かな嘘が必要なことも面倒だし
それらを記憶して辻褄を合わせるのも大変ですし、総合的に
判断してできないなあと。

嘘を管理する能力も必要だよねと最近思うところです。
つらいなー、いや、いや。
このブログは読者が少ないので、日常生活の本音も書いていきたい
と思うようになってます。
読書日記の看板外そうかなとは思っていますが、緊急避難的に
ここがあると便利そうなので。
posted by はぴたん at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする