2016年03月27日

*読書日記 『トラウマからの回復 ブレインジムの「動き」がもたらすリカバリー』S・マスコートバ、p・カーリー

書籍名:トラウマからの回復 ブレインジムの「動き」がもたらすリカバリー 
著者:S・マスコートバ、p・カーリー 
出版社:星和書店 

ブレインジムと呼ばれる簡単な動きを使って、大災害に遭った子供達を 
治療していったブレインジム紹介本です。 
感想、そうですね、ブレインジムとかレイジーエイトとかのキーワード 
が最初から出てくる割には具体的な説明が出てくるのが遅いのが気になり 
ました。 
トラウマからの解放ってタイトルにあるのに、そのための手法が
あまり書かれていないのでフラストレーションがたまったというか。

レイジーエイトというのはちょうど8の字を横にしたように、両腕で円を 
描く動作のことです。 
他にもクロス・クロールとかダブル・ドゥードゥルなど色々な動作が出て 
きます。 
こういうった動作と一緒に、「今」「ここ」に戻ってくるための認知的 
修正をすることでトラウマからの回復が見込めるというものでした。 

「今」「ここ」に戻ってくるというのは、例えば列車事故で火事が起きて 
目の前でおばあちゃんが亡くなってしまった、でも、今はもう安全である 
と考えることです。 
トラウマ的な出来事に遭遇した後の心理的身体的な反応の説明は分かり 
やすかったです。 

実際に「今」「ここ」に戻ってくることは大事だと思うんですが、 
本文中に何度も何度も「勝者」であるという単語が出てきて、なんだか 
うさんくさい感じがします。

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2016年03月20日

*読書日記『盗作の言語学 表現のオリジナリティーを考える』今野信二

書籍名:盗作の言語学 表現のオリジナリティーを考える
著者:今野信二
出版社:集英社新書

表題の通り「オリジナル」とは何かを文法や著作権などから分析していく
本です。
同じか違うかという判断はどうやってなされるのか。
一言で説明するのは難しいですが、例えばそれは表現が非常に似ていたり、
内容がすでに記述されている文章を思い出させるようなものだったり
します。

この本で面白いのは著作の目的「オリジナリティーとは何かを分析する」
の性質上、小説や俳句などからの引用がとても多い点です。

言語学の冠がついた書籍ってよく例文があるんですが、それって創作された
文章が多いんですね。
でもこの本は今現在流通している情報の創作性について分析しているのでつまり引用が多めです。
中にはページの半分が引用の箇所もあったりします。

また、短歌の添削前後を引用しているページもあるですが、どれがどう
変わっているのか分からないくらい細かな修正について述べているので
よく読まないといけなかったりします。

もちろん引用されている例文についてはそれぞれ説明が付いているので、
例文それ自体を熟読する必要ないんですが。

例えば北原白秋の短歌について、助詞の「て」の有無だけが違う例文が出てきます。
ページをまたがって掲載されているので、ぱっと読むだけでは多分読者は
違いに気づくことは出来ません。
つまり「同じ」だと判断しやすいということです。
でも北原白秋は助詞「て」があることによって短歌の音の響きが良く
なると考えているというのです。(p.109-110)
そこまで些細な違いじゃ私には善し悪しが分かりません。
その世界の詩を読む人にしか分からないんじゃないかと思います。

ある文章が同じか異なるかというのはそれくらい微妙なライン際を問う
ということなんだろうと思います。

最後の最後に辞書同士の比較をしているページがあって、それが一番
章としては面白かったです。
小商いや険路など、結局それでしか説明できない単語があるんだなと。
辞書ってある言語の学習者がよく使うものですが、結局のところその
言語話者しか分からないようになっているんですよね。
posted by はぴたん at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月13日

*読書日記『残穢』小野不由美

*読書日記
書籍名:残穢
著者:小野不由美
出版社:新潮社

夜は読まない方が良いホラー小説。
映画化されていて、その前に1回読んでたんですが、映画を見た後、
もう一度読みたくなりました。

何が怖いのかというと「実際にあったのかもしれない」と感じるところ。
実話っぽく書いてあって、どこから本当で、どこまでが嘘なのかが分からないんです。

話は語り手が以前(20年くらい前)少女向けホラー小説を書いていた時
から始まります。
文庫本の後書きで、読者に向かって怖い話を募集していたんですね。

その後、2001年に後書きに応じて久保さんという方が2001年に「自宅の
部屋から物音がする」という手紙を主人公に送ってくれました。

その物音の由来を調べていくうちに、その話が物音だけに留まらない話
過去の自殺者や放火事件、心中事件につながっていくというのが残穢の
内容です。
手紙をもらった時から、最後に調査を終えるまでがルポルタージュ風に
話が進んでいくんですが、この実話っぽい雰囲気が怖い。

久保さんの自宅(マンションです)の土地の来歴を調べていくうちに、
話は明治の初期まで遡っていきます。
一つ一つの章やエピソードが怖いってことではなくて、全体の雰囲気の
確からしさが怖いんです。

何がたちが悪いかというと、この物語作者と語り手をあえてだぶらせていることですね。
語り手が20年前に悪霊シリーズというホラー小説を書いていたのが事実、
実際にそこの後書きで怖い話を募集していたのも事実なんです。
だから、私はつい主人公=作者である小野不由美とつなげて読んでしまいます。

さらに、当時の読者が覚えているようなことを残穢の中でもネタに
しています。
ネタバレしちゃうと以前書いていた小説の後書きに「謎の湿疹で困って
いる」ということを書いていたんですが、残穢ざんえの中で「謎の湿疹」が
原因で首や腰にひどい痛みに襲われます。

これは20年前に悪霊シリーズや十二国記を書いていた時に後書きに
書いてあったので本当だと思われます。

それが今この残穢で出てきたあたりに恐怖がピークを迎えました。
うわ、この話実話なんじゃないのかっていう緊張感。
そして実話だったとしたら、この本を読んだことで私にも異変が起きる
のかもしれない。
そう思わせるお話です。
あくまでもお話です。

なんで私の身にも影響があるかもと感じるかは長くなってしまうので
簡単に説明します。
死や自殺、殺人、放火などのケガレの悪い縁に触れてしまう
(話を聞く、過去に因縁のあった場所に住む)と、その悪い縁が伝染して
しまう「かもしれない」のです。
それはお祓いや祈祷では消しきれずに残る「何か」が残穢なのです。
posted by はぴたん at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

*読書日記『談話分析』マイケル・スタッブズ


書籍名:談話分析
著者:マイケル・スタッブズ
出版社:研究社

ブログをseesaaに引っ越してみました。
投稿のテストを兼ねてガチで難しかった書籍名だけ記録しておきたいと
思います。
談話分析、読んだというか一通り目を通したといった方が適切でしょう。
pleaseの使い方あたりまでは理解できたけれど、そこから先は抽象的で
うまく理解できませんでした。

読んだことない人には何の価値もないな、このままでは。
この本によるとpleaseの使い方というのはすごく特殊で、「お茶を
飲みますか」に対して「please」と答えられるのに対して、「その
洋服どこで買ったんですか」という問いに対して「please」と言えない。
すごく色々な場面で使えるのに、一部の場面では使えないところが
特殊らしいです。

面白いんだけど、よく分からなかったです。
もうちょっと初心者向けの本で勉強してから再チャレンジしたいところです。


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posted by はぴたん at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

*読書日記『対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD』水島広子

書籍名:対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD
著者:水島広子
出版社:創元社

対人関係療法ってなにと思ったので手に取ってみました。
エクスポージャー法やEMDRとは異なり、トラウマ的な出来事に
直接向き合うのではなく、身近な人との関係に焦点を当てて治療する
ことで、その人が抱える問題を解消しようというものです。

具体的には「悲哀」「役割をめぐる不一致」「役割の変化」「対人関係
の欠如」の4つのいずれかを選んで治療するそうです。
この中で印象に残ったのは「役割の変化」についてです。

この場合の役割とは身体の変化(加齢や病気)や社会的な変化
(転職や結婚など)も含みます。
つまり社会における立場の変化や身近な人との関係の変化ということです。

対人関係療法はこれらの変化に適応できない場合に健康問題(たとえば
うつ病)が発生すると考えていきます。

健康的な状況であっても、変化に対して「まあなんとかなるだろう」という感覚が
持てなくなってしまいます、
それでも、多少の変化であれば趣味に没頭したり、友人に愚痴ったりして
その感覚を取り戻すことが出来ます。

ところが、「まあなんとかなるだろう」という感覚を持てなくなってしまうくらいに
激しい変化がトラウマです。
本書では「ふつうに人生に歩いていたところ、突然足下が地割れして
たたき落とされた」と表現されています。

突然暗闇の中に突き落とされて、自分になにが起きているのか、何を
したらいいのか分からなくなってしまうと思います。
トラウマ体験をしてPTSDになった人はその時点で時が止まってしまっていると
考えられるそうです。

役割の変化が大きなトラウマの一つだとすると、それから脱するために周囲の人
の協力が不可欠ですが、その変化を境に身近な人の支えがなくなり、
孤独な体験をする場合や、変化によって発生する感情が強すぎて
コントロールできないと感じることがあります。
自分の感情のコントロールが出来ないと言うことは「自分への信頼感」を失うことにつながります。

今まで出来ていたことが出来なくなってしまうと自分が大丈夫だと思えなくなるからです。
それに対してトラウマを役割の変化として取り扱うということは、例えば
親しい人にトラウマについて理解してもらったり、トラウマ体験を話しを
したりすることで安心感を得たり、それ以外の人間関係を立て直したり
することにつながります。

と、ここまで役割の変化について書いてきましたが、私にとってトラウマ
を役割の変化をみなすということ自体が初めての考え方でした。
そうか、父親に灰皿を投げられた時に私と父親の関係は変わってしまった
のかと納得することができました。

それ以前にも色々とあったわけですが、決定打としてはそれでしょう。
そして、その後カウンセリングを受けるまで誰にも言えずに十年くらい
つらいを思いをしてきました。(孤独感)

EMDRを受けることによってつらい気持ちが変わりませんが、少なくとも
ブログに書いたり、友人に笑って話せるようになりました。
そういう意味では少しだけ前進しているかなと思います。

最後にトラウマから回復することについて、本書で述べられていることを少しだけ引用します。
「トラウマを「傷」としてとらえてしまうと、「一生続く回復のプロセス」
は『一生消えない傷』というネガティブな雰囲気になってしまいますが、
トラウマを『適応していくべき役割の変化』として見て、そのプロセスを
『一度離断してしまった人生の道のりをまた見つけてつないでいくこと』と
考えれば『毎日つながりが増えていく』という見方をすることもできます。」(p.175)

先日書いた「その後の不自由」でも書いてありましたが、トラウマからの
回復って嫌な気持ちは消えないけれど、その影響を小さく小さくしていく
ことなんだろうなと思います。

私の抱くトラウマからの回復って過去の嫌なことを思い出しても苦痛を
感じないというものなので、しばらく新しい方の考え方を身につけて
いければいいかなと思います。
だってどのみち思い出しても苦痛を感じないって無理そうな感じがしますもん。
posted by はぴたん at 19:08| Comment(3) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする