2017年10月22日

水面としまりすの尻尾

おかしいと気付いたのは雨が降っているのに、水たまりに移る空は青空だったからだった。
長く降った雨は高校の校庭に貯まって、ちょっとした湖のような水たまりを作っていた。
ああきれいだなと通り過ぎようと思ったけれど、水たまりに映る青空と虹に惹かれた。
校庭が面した道路沿いには破れた金網があって、見ると、かがめば通れそうな穴があった。
不法侵入しようと思った訳じゃない、ただ単に青空をもっと近くで見たくなった。
網の穴に足を踏み入れた瞬間、降っている雨が止んで、一瞬だけ音が無くなったのを覚えている。

あの時、私は踏み込んではいけない場所に行ってしまったんだ。

水面の向こうの世界はぴかぴかの青空だった。
よくよく見てみるとここは私が通っている高校らしい。
校舎の方を見てみると誰かがいた。
誰か知ってる人かもしれない、そう思って校舎の方に近づいていった。
何メートルか歩くと、その誰かは友達同士でお昼ご飯を食べているんだと分かった。
そして、私にそっくりの誰かとりかちゃんがいた。
りかちゃんだ、その存在に気付いた瞬間に私の足が止まった。

りかちゃんは私と同じ部活で、途中まで同じ電車を使っている友達だった。
帰りの電車では色々なことを話した、進路のこと部活の今後のこと授業のこと家族のこと。
りかちゃんの話は私と視点が違って面白くていつまでの話していていられた。
仲良し、だと思っていた。あのことがあるまでは。
今はたぶん嫌われていると思う。
ある日、りかちゃんは腕に大きな切り傷を作って部活に来た。
その傷跡はたぶんずっと残るだろうってくらいの深くて大きなものだった。
りかちゃんのことが心配だった、だから薬局で傷に効くという塗り薬を買ってりかちゃんにあげた。
そうしたらりかちゃんはすごく傷ついた顔をして、「いい要らない」と低い声で言って走るように私の許から去っていた。
私はすごく酷いことをしたのだと気付いたのはその時だった。
それから二週間りかちゃんは私に話しかけてこない、挨拶しても返事はない。
すごく悲しいけれど、嫌われてしまったんだと分かった。

そのりかちゃんと私そっくりの誰かがすごく楽しそうにお弁当を食べている。
少し離れた私にも笑い声が聞こえてくる。
ズルイ私はもう嫌われているのにナンデあんなに楽しそうにしているの?
言語化できないほど私の頭の中は感情で爆発した。嫉妬、妬み、自責、後悔。そして憎悪。
もう数メートル歩けば、私もあの中に入れるかもしれない、また仲良しに戻れるかもしれない。
そう思った瞬間また視界が変わった。

仄暗い、ぼんやりした世界だった。
そこには私のそっくりさんが私の目の前に立っていた。
にこにこしていて、明らかに幸せそうだ。
りかちゃんはいないのに、りかちゃんとの笑い声が反響して聞こえるような気がする。
たまらなくなって私は私に飛びかかって馬乗りになった。
私のそっくりさんは無表情になって抵抗もせずなすがままだ。
なんだよ、こいつは。
無性に腹が立って私は私の首を絞める。
ぐっ、私は私の首がどくどく言っている。
それを感じて私は一瞬ためらった。
さっき見たかえちゃんの輝いた顔が頭に浮かんで、ますます腹が立って私は手に力を込めた。
どくどくする感覚が強くなる、でもだんだんが弱まっていく。
もっともっと。

どれくらい首を絞め続けただろう。
いつの間にか私のそっくりさんは無表情のまま目を見開いて呼吸をしなくなった。
ああ、私は私を殺してしまったみたいだ。
急に頭がぼんやりしてきて、私は座り込んで目をつむった。

ふわり、そんな感覚で目を開けると私は雨が降る世界に戻っていた。
いつの間にか私はぐしょぐしょに濡れていた。
思ったより時間が経っていたようだ。
重石を背負ったような体を持ち上げて、私は家に帰った。

あれから、私は心にぽっかりと穴があいたような気持ちで過ごしている。
りかちゃんのように腕を切っては、何故か分からないけど号泣している。
毎日のようにリストカットをしていて、切る場所がだんだん無くなってきた。
家族は心配して、毎日のように私の部屋を見に来ては心療内科の受診を勧めてくる。
あの日びしょぬれで帰って来た日はただ単に心配していただけだったけれど、どうやら腕を切っているのも気付いているようだ。
毎日のようにゴミ箱に血塗れのティッシュがたまっていくのだから当然だ。
りかちゃんとは私の方から積極的に避けるようになった。
これ以上りかちゃんを傷つけたくない。

毎日のように夢を見る。
私が私の首に手をかけているのに、私はごめんねって謝っている。
なんで抵抗しないのって怒りながら私はその手に力を込める。
ぐって反発が強くなった瞬間に私はごめんなさいと言う。
そして現実の私の「ごめんなさい」の声で目が覚める。
それの繰り返しだ。

そういえば、りすの尻尾は強く掴むと抜けるという話を聞いたことがある。
とかげの尻尾と同じ要領なのだろうけど、私は私という尻尾を切って
なにから逃げたのだろう。
それが分からないから、今日も私は腕を切るしかない。
posted by はぴたん at 21:08| Comment(0) | 物語(自作小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

リスとカット

初めてのリストカットはT字カミソリだった。
二の腕のTシャツでぎりぎり隠れるギザギザの痕は今も残っている。
そもそもの自傷行為の始めは自分の怪我のかさぶたをはがすことだった。

治ったところを執拗に剥がすから私の膝小僧はいつもジュクジュクしていた。
そのうちI字型のカミソリの存在を知った。
こっそりドラッグストアでカミソリを買って、次は前腕を切った。
最初は浅かった。だからすぐにかさぶたとなり消えた。
だけれどそれがどんどんエスカレートしていって、毎日理由を作っては
自分の腕を切るようになるのはあっという間だった。

深夜、自室の椅子に深く腰掛けて、机に右腕を軽く乗せる。
左手にカミソリを持って、切りたい場所に軽く置く。
ふっと息を吐いて、そのままカミソリを引く。
一瞬、皮下脂肪が見えて、そしてすぐ血があふれてでくる。
痛い。
でも慌てず騒がずティッシュで患部を押さえて、血が止まるまでぼーっとする。
そのうちだんだん傷口がズキズキしてくる。
そうなったらリストカットの時間は終わりだ。
多い日には何本か切ることもあるけれど、大概は1回につき1本だけ。

そうやって自分の右腕を切り刻んで、31本目になったころ、あることが
きっかけで友人と契約を結んだ。
「リストカットをしない。次にやったら友人としての付き合いを止める」
私はその友人のことが大事だったので、リストカットはしたかったけれど
我慢することにした。それは今も続いている。

リストカットは不便だ。
夏でも半袖を着られない、着たとしても周りの目が気になる。
1本2本の切り傷なら猫にひっかかれたのかなで済むだろうけど、
同じような傷が31本もあったら話は別だ。
見られるのはかまわないけれど、多分、周りもいい気持ちはしないだろう。
そう思って私は常に長袖を着ている。
最初「日焼けが怖いから」という表向きの理由で長袖を誤魔化していたけど
いつの間にか日焼けが怖いから長袖を着ているのか、傷を隠したいから
長袖を着ているのかどちらなのか自分でも分からなくなった。

そうやって色々なことがぐちゃぐちゃしていたころ、私は会社の温泉旅行に行く羽目になった。
当然のことながら腕を晒すことになる。
腕にタオルをかけたり、必死に腕を胴体に引き寄せたりしてどうにか誤魔化した。
絶対に見られたくない。そう思っていた。

ところがこの頃、心境の変化が起きたらしい。
それに気付いたのはある災害が起きた時だった。
被災地にボランティアに行ったところ、その日の宿泊所に風呂がなかった。
だから銭湯に行くことになった。
その銭湯で湯船に浸かっている瞬間に、ごく自然に腕を晒して歩いている自分に気付いた。
服を脱ぐ時も無理に服を掛けて隠さなかった。
浴場で歩いているときもタオルで腕を隠さなかった。
自分は自分の傷を受容した瞬間だと、ふとそう思った。

私は相変わらず真夏の暑い中長袖を着ている。
でももし技術が発展して、「腕を真新しい綺麗な腕に交換できるよ」と
言われたとしても私は交換しないだろう。
出来ないのではなく、自分の意志でしないのだ。
私の腕は私の勲章でもあることに気付いた。
見せびらかさないけれど、それが私自身の象徴でもあるのだ。
posted by はぴたん at 11:41| Comment(0) | 物語(自作小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

灰皿事件

君は灰皿を投げつけられたことがあるかい?
ない? それは良かった。
ある? けがはなかったかい、それならまだ良かった。

私はね、生物学上の父親に灰皿を投げつけられたことがあるよ。
今日はその話をしよう。

あれはね、たしか映画「A.I.」を観た日の晩のことだったかな。
母と姉と映画館で見たんだよ、不思議な映画だった。
その映画を観終わって、その日は普通に家で夕飯を食べることになっていた。
その時は父親も一緒に夕飯を取っていたな。

夕飯のメニューは覚えてないんだ、でもテレビで赤い何かが映っていたことだけは覚えている。
私は家族の誰よりも先に夕飯を食べ終えて、同じリビングにあるパソコンの前に座った。
その瞬間だったよ。
灰皿が私の横をすり抜けてパソコンのモニターに当たったんだ。
一瞬何が起きたのかよく分からなかった。
いや、正確に言うと何が起きたのかよく覚えていないんだ。

何かね、コードにつまずいたとか、父親に口答えしたとか、そういうきっかけがあったの
かもしれない。
でも私はそういうきっかけが何だったのかよく覚えていないんだよ。

そもそも何もなかった可能性さえある。
ただ、父親の機嫌が急に悪くなって灰皿を投げたくなっただけなのかもしれない。
とにかく、とにかく父親は私に灰皿を投げた。
灰皿は私を掠めてモニターは壊れた。

そこから先も実を言うとおぼろげな記憶しかないんだよね。
その晩は確かあの人はリビングルームのソファで眠って、私は姉の部屋で泣きながら眠った気がする。
翌朝パソコンを起動させたら画面が変な感じで斜めに表示されるようになったので、首を曲げながら
しばらくインターネットをしていたんだったかな。

灰皿は誰が片付けたのかとか、翌朝のあの人や他の家族の様子も覚えていない。
多分、私は灰皿を投げつけられたあの時一度死んだんだろうね。
灰皿で頭を殴って自分で自分を食べてしまったんだよ。
だから詳しくは覚えてないんじゃないかと思う。

そしてこれは後日談なんだけど、あの人は自分が灰皿を投げたことを覚えてないんだよ。
数年後にあの時なんで灰皿投げたのって訊いたことがあるんだ。
覚えてないって言ってた。
さらに数年後。つまりあの人が亡くなる直前に念押しで確認したんだ。
そうしたらやっぱり覚えてないって言われてしまった。
あの人にとっては本当に些細な出来事だったんだろうね。

私はあの日灰皿が頭に当たって、病院に連れてかれて児童相談所に保護されたかったって
未だに思うのにね。
そうすればもっと早くあの家族から逃げられたと思ってるのにね。
おかしい話だね。
posted by はぴたん at 05:41| Comment(0) | 物語(自作小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

うさぎ小屋に閉じ込められた話(半分実話の小説)

うさぎ小屋に閉じこめられた。しかも汚い方に。
外から鍵を掛けられた時、私はユーゴやユウタに泣きながら「開けてくれ」と頼んだ。
あいつらはそんな私の真似をしながら笑って喜んで去って行った。
私をうさぎ小屋に残して。

しゃがみ込んで泣いた。なんで飼育係になんてなっちゃったんだろう、何であいつらと一緒にうさぎ小屋の掃除を始めちゃったんだろう、なんで私だけ中に入ったままでいたんだろう、こっちの小屋の金網は指しか通らないのになんでここの掃除を担当しちゃったんだろう。バカな自分、バカバカバカ。
うさぎ小屋の隅で一通り泣いていた私は、ふと疲れを覚えて汚いうさぎ小屋の床に座り込んだ。

その時だった、ふっと入り口の方に目をやると淡い光と共にスキッパーがいた。
ハリネズミみたいなツンツン頭をして、黄色いサマーセーターを着て、茶色のズボンを履いて、片手には本さえ持っている。
あのシリーズのスキッパーだ。間違いない。

思わず立ち上がって天井に頭をぶつけてしまった。汚い方のうさぎ小屋はきれいな広い方と違って天井が低くて、私だとまともに立てないんだった。
でもそんなことはどうでも良かった。
何故かは分からないけどスキッパーがここにいる。ただそれだけで何だか助かった気がした。

「ねえスキッパーでしょ、私は裕子って言うの。助けてよ」
私がスキッパーに話しかけると、スキッパーは私の隣に来て座り込んだ。

「裕子。聞いて僕には君を助けることが出来ない。今は夏休みだ、しかももう夕方。たぶんもう誰も来ないよ。でも大丈夫だ、夏休みの間プールがあるだろう、その時にうさぎ小屋を見に来る人がいるかもしれない。その時に助けてもらおう」
スキッパーから差し出された手に私は縋るように手を伸ばした。スキッパーは私より年下だから、ちょっと手は小さいけど、でも温かだった。

「スキッパー、私助かるのかな。お父さんもお母さんも多分私が何日かいなくなっても気付かないよ。それに学校のプールとうさぎ小屋はずいぶん離れてるんだよ、誰も来ようとしないんじゃないかなあ」
「大丈夫だよ、だって校庭で一番涼しいのは木が茂っているこの辺りだろう? プールが始まる前にやってきて涼みに来る人はいるはずだよ」
そう聞くと、なんだかそうかもしれないと思えるようになった。

立ち上がった気配を感じて私は隣のスキッパーを見た。
そうか、スキッパーは私より少し小さいからちゃんと立ち上がれるんだね、そう言おうと思った瞬間、スキッパーは現れた時と同じように、ほのかな光を発しながら消えていくところだった。
「ねえ待ってよ、せめて一緒にいて!」
「君はもう大丈夫、大事なのは体力を温存すること、汗をかかないことだよ、また本の中で会おう」
最後の「会おう」あたりではスキッパーはほとんど光しか見えなくなっていたけど、確かに声は聞こえた。

ああ行ってしまった、もしかして夢だったのかもしれない、そう考えたらまた泣きそうになった。
でも涙で余計な水分を出すのはだめだと思った、だからうさぎのキャベツをちょうだいすることにした。
さっき掃除して、置いたばかりだからまだそんなに汚くない、「大丈夫、汚くない汚くない」そう念じてキャベツを1/2枚食べた。

キャベツを食べたらちょっと落ち着いてきた。
さっきスキッパーは学校のプールのことを言っていた。
今日は月曜日、プールは毎週月曜と水曜と金曜日に開かれるだったはずだ。
だから次にチャンスが来るとしたら明後日の水曜日、明日はきっと誰も来ないだろう。
そうすると体力を温存しておいた方が良いという気がしてきた。

朝見た天気予報では明日は晴れの予報。
屋根がないから雨が降らないのは有り難いけど、暑くなるのが心配だった。
確かにこの辺りは桜の木やイチョウの木が茂っているから、校庭のどこの場所より涼しいはずだ。
でも昼間に何時間もここにいたことがないから、正直言ってよく分からない。

分からないことが不安を呼ぶ、また泣きそうだったから腕を噛んでこらえた。
スキッパー、怖いよ、傍にいてよ。私は小さくつぶやいた。

朝、だった。
いつの間にか眠っていたらしい。うさぎがモシャモシャとキャベツを食べている。
私も半分もらうことにした。

私は飼育係なのにうさぎをじっくり見たことがあまりなかった。
小さな口でガリガリとキャベツかじってはモグモグと口を動かす。
口を動かしている最中でもどんどんキャベツをかじる。
いつ飲み込んでるんだろうと言うくらい、常に口を動かしていた。

私もそれくらいたくさん噛めばお腹が膨れるかなと思って、とにかく噛むようにした。
キャベツを半枚食べたけど、お腹は膨れなかった。

その日は暑かった。確かに直射日光は当たらないけど、木が多いせいかとにかく蒸す。しかも風がない。
腕の傷を隠すために毎日長袖を着ていたけれど、一枚脱がざるを得ないと思った。
どうせ誰も見ないんだ、別に良いだろう。

日差しが強くなった気がする、昼近くなってきたのかもしれない。
暑さもつらいけれど、もっと辛くなってきたのは空腹感。じりじりとお腹が刺激される気がする。
最後に食べたのは昨日のお昼の素麺だから仕方ない。
昔読んだサバイバル本に水がなくても3日は保つと書いてあった気がする。
うさぎ小屋の水は飲めない、きれいじゃないから飲みたくないっていうのもあるけど、うさぎの水を奪うわけにはいかない。

仕方ないから右手の爪をかじって食べる。
痛みを感じる直前まで爪をかじり取って、爪の下にある柔らかい肌を食べる。
やっぱりお腹は膨れない。
左手の方もかじろうかと思ったけど、夕方食べようと思いあきらめた。

暑い、小屋の中のうさぎのフンをできるだけ隅に集めた。
洋服をたくし上げて、うつ伏せになる。
素肌のお腹にコンクリートがちょっとひんやりして気持ちいい。
そんなことをしていたらまた時間が過ぎていたらしい、夕方だった。
今日はやっぱりだれも来なかったなと当然のように思う自分がちょっと強くなった気がした。

暗くなってきたからまたキャベツをもらう。
うさぎはまたかという顔をしながらも私にキャベツを譲ってくれる。
キャベツはとにかくよく噛んで、液状になってから飲み込む。
それから爪と皮膚とかじってデザートにした。

中途半端に何か食べると余計にお腹が空く気がするな。
そんなことを感じながら長袖を着て、ぼんやりとする。明日のことを考えなきゃ。
プールは何時から始まるんだろう、プールが始まったらキャアキャア声がするから、多分私がどんなに叫んでもかき消されてしまう。
だとしたら朝一番のまだ静かな時間に人の気配を感じたときに叫ぶしかない。
誰かが来た気配がしたら全力で声を出す。
なにかしら聞こえればもしかして誰かが来てくれるかもしれない。
これを逃したら次はまた明後日だ。
キャベツも水分も金曜まで保つか分からない、多分保たないだろうと思う。

私はどれくらい声が出せるんだろう、試しておこうと思った。
昔授業で習ったことがある。
「キャー」とか「助けてー」とかだと子供がふざけてると思われるかもしれないから、「火事だ!」とか「泥棒だ!」とかが良いと言っていた。
叫んでみよう、うさぎにはびっくりさせて申し訳ないけど、一回練習しておきたくなった。

「火事だ!」
だめだ、なんか足りない気がする。もう一度叫んでみよう。
深く息を吸って、「火事だー!!」
何か遠くで声が聞こえた気がした。

しばらくして校舎の方に明かりがついた。
誰かが来たらしい。
警備員の人がこちらにやってきた、キョロキョロと周りを見ている。
「おじさーん! 私ここにいるの、助けて!」
警備員のおじさんがうさぎ小屋の方に来た。
私を見つけてびっくりしているようだった。
「君、いつからそこにいたの? なんでこんなところにいるの?」
「私は5年1組の桜井裕子です。色々あってここに閉じこめられちゃったんです・・・」



ここから先のことは正直に言ってよく覚えていない。
火事だという私の声を近所の人が聞いて、警備員さんがやってきたそうだ。
その後、私は軽い脱水で病院に運ばれたんだけれど、それからのことはあまり覚えていない。
病院内でお父さんが看護士さんに怒鳴っていて、「おいおい怒鳴る相手を間違ってるよ」と思ったこと。
遅れてやってきたお母さんが、眠っている私の腕の傷をなでて何処かに行ってしまったこと。
夏休みが終わって学校が始まった後も、学級会という名の私の非を責め立てられる裁判があったこと。
それ以外のこともたくさんあったと思うんだけど、それらは忘れられそうにもないし、同時に思い出したくもない。
posted by はぴたん at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語(自作小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

図工室の龍

「おや?」
痛みを感じた時には左手に指先から血が出てきました。
図工の時間に私はひとりだけ彫刻刀を使って作業をしていたのです。
他のみんなは粘土を使ったり、ノコギリを使っていました。

先生がどうしたのとやってきて、私を保健室に連れて行くことになりました。
だからこれからの話は、図工の後の掃除の時間に優ちゃんから聞いた話です。

先生と私が保健室に行った直後、図工準備室から突然龍がやってきたそうです。
図工準備室は暗くて埃っぽくて普段は誰も入ろうとしません。
だから龍がいるなんて誰も知らなかったのです。

龍はちょうど先生が立つような位置から図工室の全員に言いました。
「ここの時間は私が止めた、皆好きなように遊ぶといい」
え、なんでと和也や晴子からは声が上がったそうです、意味がわからないですからね。

「私は何でもできる、その証拠に今から皆にお菓子をプレゼントしよう」
そうすると、机の上にはクッキーやらせんべいやらなんとマカロンまで現れたそうです。
いつもお腹を空かせている迅が真っ先に食べてみました。
「うまい! みんなも食べようよ!」
そうやってみんなは恐る恐るお菓子を食べ始めました。

お菓子を食べていると会話が弾みます、龍のことなんて忘れてみんなはしばらく雑談をしていました。
すると龍は突然「なぜ皆の者はおしゃべりばかりして遊ばないのか」と言いました。
そうです、龍は登場した時に遊べと確かに言っていました。

そこでみんなは好き勝手に図工室の道具を使って遊び始めました。
折り紙で紙吹雪を作る者、糸鋸で奇妙な形を作り出す者。
さっきまで取り組んでいた課題はきれいさっばり、全く違うことをし出しました。
元々学内で一番ガチャガチャしていて落ち着きがないと言われていたクラスの遊びは好き放題でした。

1時間は経ったでしょうか、時計が止まっていたのではっきりとは分かりませんが、
それくらい経ったんじゃないかと優は言います。
優は急に不安になってきました、ここに閉じ込められてしまったからにはもう戻れないんじゃないか。
優は龍の方を見ます、何やら迅が何かを熱心に頼んでるようです。

そして龍はまたもや突然「肉じゃが」をみんなの机の上に置きました。
食べろと言うのです。
仕方なしにみんなは肉じゃがを食べ始めました。
するとどういう訳でしょうか、みんなそれぞれの懐かしい肉じゃがの味がするのです。
迅は肉じゃがにがっつくように食べています。
そしてぽつりと呟きました。
「うまいなあ。お母さんのごはんなんてここ1ヶ月は食べてないよ」

それを聞いたみんなも急に家が恋しくなってきました。
この時間から出して欲しい、勇気を出してそう言ったのは和也でした。

龍は言いました、「では私の絵を描いてくれ。1枚でも気に入るものがあったら出してやろう」
みんなは必死になって絵を描き始めました。
でも誰も龍のお眼鏡に叶う絵を描けません。
みんなは焦りだしました。
そんな中一人悠然と絵を描き続けていた児童がいました。
迅です。
迅は龍には目もくれずに肉じゃがの絵を描いていたのです。
和也は言いました「おい迅、今は龍を描く時間だろ」
大丈夫大丈夫と何も説明しないまま迅は描き続けました。

迅の描いた肉じゃがは、いかにも芋がほっくりとしていて、人参がぽてりと甘そうで、
ジューシーなお肉が本当に何か異様な臨場感のある絵に仕上がりました。

龍は迅の絵を気に入りました。
でもひとつだけ注文が入りました、額縁が欲しいと言うのです。
額縁が?
仕方ありません、全員で作ることになりました。
迅は描ききって満足したのか何もする気配がありません。

まずは額縁だと思ったみんなは、さっき糸鋸で切った端材を大きな紙の上に貼り付けました。
誰かが言いました「額縁ってよく金色だよね」
元の時間に戻りたい、クラスの大半はそう思っていたに違いありません。
なんと偶然にも晴子は金色の折り紙を持っていたのです。

そこで、金色の折り紙を四つ折りにして周りを囲ってみました。
だいぶ額縁っぽくなってきたような気がします。
和也が金色の星シールを持っているというので、四隅にシールを貼りました。

どうでしょうか、とおずおずと和也は龍に見せてみました。
「ほほう、いいじゃないか。お別れだ、これから時間は元に戻る、楽しかったよありがとう」
そう言って龍は唐突に消えてしまいました。

先生と私が保健室にいたのは5分くらいだったと思います
「彫刻刀ってね、みんなで使ってる時には緊張感があるから怪我しにくいんだけど、バラバラで使うとね…」
先生方がそう会話しているのを片目に私は止血のために腕を上げていました。
保健の先生が血の止まったのを確認して、先生と私が図工室に戻って来たという訳です。

戻ってきた時教室中がなんだか妙な雰囲気に包まれているなとは思いました。
やけに熱心にみんな作業をしているのです。普段の様子からは想像もつきません。
だから後片付けもすぐに終わりました、先生が今日はどうしたんだとボソリと呟くほどでした。
私もよく分かりませんと言って図工室を出ました。

その後の給食の時間、迅はふだんより食べる量が少ないような気がしました。
いつも必ずお代わりの列に並ぶのに、並んでなかったからです。

なので、掃除の時間に私は優に聞いたのです「図工の時間に何かあった?」
優は一緒にほうき掛けをしながら説明してくれたのです。
だからか、何かが色々納得できたような気がしました。
posted by はぴたん at 06:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語(自作小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする