2020年02月28日

12ステップ ステップ1 棚卸し

われわれはアディクションの影響に対し無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。

いきなりですが、12ステップを始めようと思います。
先日自助会で、そして自分の中で「私は無力だ」と気づいたからです。
続くかどうかわかりませんが、できるだけ続けたいと思います。
(スキーマ療法も継続中です)

最近、聖書を読み始めました。
聖書と言っても、聖書の一文と祈りの言葉、そして解説が載っている簡単な本です。
それと同時に「祈りは初めてという人のための本」という本も読みました。
そこにね、「基本的に祈りたくないという姿勢があるのは当然で、だってそれは自分が無力だと認めることだから」と書いてありました。(意訳)
それを読んで、順番逆なのわかっているけど、12ステップそのものじゃないかと思ったんですね。
当然ですよね、キリスト教文化の土台があるところに12ステップの端緒ができたのだから。
順番逆なの分かってます、でも、そこに私は納得してしまったのです。

そうそう、最近、日々の終わりに「今日も無事に終わった! 何かに感謝!」って思う習慣が出来てきました。
これって「祈りじゃないの?」「祈る対象はなんなの?」と思うようになりました。
それがきっかけで聖書を読むようになりました。
でも私は多分まだクリスチャンとかではないです、教会にも行ってないし。
ただ、祈ることが私の自己理解につながるのであれば、それは一つの手段として使ってみてもいいツールかもしれないと思い始めています。


無力についてでしたね。
既に無力について語っているのですが、祈ること自体が私のうまくできないことを「ハイヤーパワー」に委ねることそのものだと思っています。
私は仕事がうまくできません。続けること自体が困難です。
三回失敗しています。
正直悲しいです。

その続けられない原因がよく分からないので困っています。
通勤時間か、職種か、多分今回どちらも合わなかったのでそれは確定なのですが、それ以外たとえば環境要因とか?
ASD由来の感覚過敏、音がカクテルパーティー効果が効かないのでうるさいところがだめな可能性はあります。
光とかも、だめだったのかなあ。
正直何がだめだったのかが分からないまま次に行っても同じことを繰り返すだけだと思うのです。
どうしたらいいのか、正直分からない。

ということで、祈りです。
聖書読んで、ピンときた部分をノートに転記して、声に出す。声に出せない時は書くだけ。
私はだめだと今まで思っていました。
でも、だめというより無力と言い換えた方が良いかなという感じがしています。

アディクションの影響に対して無力というより、生育環境といじめという犯罪行為によって受けた影響に無力です。
それによって仕事がうまくいかない、時々感情の爆発をしてしまう(しくしく泣く)、しょっちゅう自傷したくなる。
今はかなり保護された環境にいるから大丈夫ですけど、多分普通の世の中に放たれたらまたすぐにだめになってしまう。
無力であり、なす術がない状態でもあります。認めるのは嫌だけど、どうしても否定できない。
posted by はぴたん at 08:33| Comment(0) | 12ステップ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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