2016年03月01日

父の死について2(家族への違和感)

生物学上の父親が亡くなった時の話、続きです。


父親が倒れた時、姉はすぐさま休職の手続きを取り、
入院先に行きました。何を思ったかは知りません。
すぐには休みを取れない母の代わりに一日中病院にいて、
暴れる父親をなだめたり、ケースワーカーに相談したりしていました。
控えめに言って、私は姉の行動する様を見て気持ち悪いと感じました。
都内の「家」にいる時に、あれだけ精神的な暴力を振るって、
1年近くがんを家族に黙っていた人に、なんでそれだけ経済的
物理的投資が出来るのかということです。

もちろん、家族が病気になった時に積極的に献身的に看病できる
ってすごく良いことですけど、それだけのことが出来るほど私は
父親のことを好く捉えられません。
思うに姉があんなに行動できたのは、看病することで強い
自己効力感を得られたからなんじゃないかと思っています。

それから姉と私とで父親との関係が全く異なることも否定できません。
私は比較的父親につらく当たられましたが、姉はそこまでひどい
体験をしていないのではないかと思います。
私が知らない範囲でつらい体験をしていることもあったでしょうけど、
つらい体験があってなおかつ父に優しく出来るとはすごいですね
としか思いません。

まあ、そんなこんなで姉は父が突然入院してから亡くなるまで、
母に代わりあれやこれやを取り仕切っていました。
母親が休みを取れるようになって、入院先に常駐できるように
なってからもずっと。

これは私の「こうあるべき」イメージです。
私の「家」での父との関係上、父の治療方針についての
主導権は姉ではなく母が持つべきだったんじゃないかと
思っています。
基本的には子供と配偶者では配偶者の方が優先されるべき
ではないかと思っているからです。
もちろんこれは一般に当てはめられることではなく、関係や状況に
よって変わります。

今回に関して言えば姉が色々なことをやってくれたことに感謝はします。
でも全てを決定できるほど姉と父は関係が深いわけではなかったように
思うのです。

これが私が家族に対する違和感の根元だと思います。
姉は母が分担する領域にまで土足で踏み込んでいたように感じる。
母が姉に委任するという話し合いを持っていたのかもしれません。
だとしたら、それは私にも話しておいて欲しい内容でした。
それがないまま「なあなあ」で姉が全てを決めて、母がそれを
黙ってみているという様子は気持ちのいいものではなかったです。
父親が入院して、姉が色々と世話を焼く間も、病状は順調に
悪くなっていきました。

父が最初に搬送されたのは急性期病院と言われる治療が
目的の病院でした。
最初から治療を希望していない父親は、違う緩和ケアの
できる病院に転院する必要がありました。
そのため救急病院から緩和ケア病棟に転院。
転院先でもしばらくは父は元気な様子でした。

私が一度お見舞いに行ったときはシリア情勢に
ついてだったでしょうかちょっとした話が出来るくらい。

母などは「本当はもっと長生きするのではないか」と思ったそうです。
それでも、ある日の夕方「危篤だからお見舞いに来い」という連絡が
姉から私にきました。
医師から「今日明日が山場だと言われた」というメールです。
「さすがにお見舞いに行かなくては」と思い会社を休みました。
その時は持ち直しましたが、その週に父親は亡くなりました。

当時、姉と母はほぼ常に病院で付き添っていましたが、私は
入院先が地方のこともあって、頻繁にはお見舞いに行きませんでした。
とうに配偶者や他の家族がいるのに、私が行ったところで何もならない。
そう考えていたからですが、今もそれで良かったと思っています。

入院当初に私が感じた「知らないおじいちゃんのようだ」という印象や、
その後の家族の反応に辟易してしまったからです。
家族の反応というのは、父が山場と言われた日の夜のことです。
夜中、意識がほとんど亡くなった状態の時、父親が母親の名前を
呼びました。

すると母は「ずっと一緒にいるからね」と感情的な反応をしたのでした。
そこに居合わせた私が感じたのは「意味が分からない」ということでした。
「ずっと一緒にいる」って言っても、直前の8年間はほぼ別居のような
状態だったじゃないですか。
それを今更取り乱して、この人達のことを私は理解できない。
そう感じました。

家族が苦しんでいる横でもっと私も苦しむことができたならば、
一般的な家族像に近づけるかもしれません。
ただ残念ながら私は色々な意味で「一般的」とは言えないタイプですし、
家族からされてきたことは虐待と言っても差し支えないことでした。
それらのことを総合的に考えて、私は父の死に当たって自分に
出来ることをしたと思っています。

私と違う感情を発露させた家族の気持ちは実際にそう感じられたもの
だったのでしょうし、私はそれを理解できないだけです。
それが家族の行動パターンであっても、自分には理解できないことが
あります。

こういう風に書くと、いわゆる一般的な人、健全な家族で育った人から
したら、「おかしいのはおまえだ」と言われてしまうかもしれません。
「こんなことを書くなんてひどい」と言われることもあるかな。
ここまで書いてきておいてなんですが、ブログで公開するとなると
ちょっと怖くなるチキンハートです。
尻切れトンボな感じがしますが、私の中で書きたい感情が
落ち着いたのでここまでで終わりにします。

・後日いただいたコメント
話が少し逸れてしまうかもしれないけど、はぴたんが気持ち悪いと感じた感覚を私は少し分かるような気がする、と思った。おかしいことはない、「おかしい」という感情はとても主観的なものだと思う。

返信
はぴたん より
おかしいことはないだろうか、ありがとう。
頭の中で「こうあるべきだ」って主張する声が聞こえて
変な風に言われるかもしれないと思ったんですよね。
家族を悪く言ってはいけないという規範に自分自身が
縛られている気がします。
posted by はぴたん at 18:55| Comment(2) | 毒親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わたしも癌で子どもには言っていません。
死ぬまで一人だと思います。
親には親の生き方があります。
子どもに親の人生を背負わすことはできません。
あなたが親になにもしないのも選択の結果だと思います。ただ、長い時があなたに人生から問いを出すのだと思います。
あなたの父親は死ぬことが分かっても、長年言わなかったのは孤独に一人で背負ったのではないでしょうか。
孤独に戦う親もいます。
いまは毒親と片付けられ、親がすべて責められます。
毒親でも、最後は親として一人で子どもに迷惑をなるべくかけず、人生を背負って孤独に生き、癌になっても治療に一人で戦う親もいます。子どもに頼らない。一人で生き切る姿をみせなければいけない親もいます。
あなたが何歳かわかりませんが、人生が諸行無常であると人生を感じて、父親を見ていただけたらと思います。
Posted by まさよ at 2017年11月06日 20:42
まさよさま
せっかくコメントをいただいていたのの返信が遅くなって本当に申し訳ありません。
コメントが少ないブログなので見逃していました。

まさよさまはきちんと孤独に戦うのですね。強いですね。
私は最後まで父に孤独で戦うことを望んでいました。
私の父は(詳細はここに書けませんが)色々な裏切りもしていたようです。
父に対してはまだ気持ちが変わりません、どのように変化していくか
私にもまだ分かりません。
まさよさまがこちらのブログをお読みになったのも何かの縁だと
思います、またお時間ある時にいらしていただければと存じます。

Posted by はぴたん at 2017年11月26日 21:47
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